絵画VII スクーリング終了

吉祥寺での2週にわたる絵画VIIのスクーリング終了、

位置付けとしては、卒業制作の準備としての

各種トライや研究的な科目。

まあ、確かに自分が卒制で掲げてるテーマに沿って、

色々試せたかとは思う、

色んな先生の話も聞けたしね、

伝わる先生もいるし、全くの先生もいる、

アーティストなんだから当たり前、

どれもそれなりに有意義ではある。

絵を描くということについて、

これほどまでに真剣に考えて、

意見を交わすようなことは、

大学というこの環境で無ければありえんから。

 

ただな、

それらの議論やトライやらが

そのまま卒制につながる訳ではないから、

家に帰って、また悩みは尽きないのだけど。

 

絵を描くという行為には必ず痛みが伴う。

他の自己表現も似たようなものかも知れんけど、

絵を描くという行為は、再構築の繰り返しだ。

特に油絵の場合、作業は積み重ねの連続だ。

例えば音楽が時間と共に平衡に進んでいくのなら、

対して、絵画は一点を垂直に幾重にも深く重ね合わす行為だ、

そこには常に決断と、決別と、再構築が存在する、

そして、決別は、とてつもない痛みを伴う。

ただな、必ず、重ね合わせた後には、

以前に描かれていた痕跡が何らかの形で残る。

それが面白いところではあるけど、

制御は難しい。

 

だからこそ

全てがコントロールできる訳ではないからこそ、

そこに結果として出てきたものを肯定する力も必要だ。

それが伝わるかはわからないのだけれども。

それが成功なのか、失敗なのかは、

すぐに判断できないかも知れないけれど。

 

結局の所、

伝える、ということを目的とするのではなく、

究極の自己満足の結果が、どう出るか、

ってことなんだろう。

そうでなきゃ、つまらない。

それをやり切れるかどうか、を考えている。