君は「ラブミーテンダー」を聞いたかい?

清志郎に関してとっても納得のいくブログを読んだもんで
自分なりに考えてメモ。
 
果たして、今、清志郎が生きていたら「サマータイムブルース」や「ラブミーテンダー」を
歌っただろうか? というもの。
原発ソングの草分けと言われてる歌であり、
清志郎そのものが反原発活動のカリスマ的な見方をされてる今を、
果たして、清志郎はどう考えるだろうか?
 
カバーズの当時、清志郎が政治的な歌を歌った理由は2つじゃなかったかと思う。
一つは、他に歌ってる人がいなかったから、
もう一つは面白そうだったから。
 
もともと清志郎に政治的な考えや活動の意思がないのは、
インタービューなんかを見ても明らかで、
歌の内容についても、普遍的なラブソングを除けば
結局は、たまたまで、
要は、面白そうだから、歌いたいことを歌う、
っていうそれに尽きるんじゃないかと思う。
 
そして、それこそが「ロック」なんだと思う。
自分がやりたいことやる、歌いたいことを歌う、
ラブソングも、反戦歌も、国歌であっても
その時に歌いたいことを歌うのがロック、
でも、日本には、この、ロックが根本的に無いんだな。
 
そして、清志郎は、この歌いたい事を自由に歌うって事を
阻むものに対しては徹底的に戦ったんだ。
それがレコード会社であろうがテレビ局であろうが、
その凄まじさを知るのは、今やコアなファンだけなのかも知れない、
でも、だからこそ、彼はキング・オブ・ロックであり、
誰も真似が出来ない唯一の存在だったんだ。
ずっと彼が戦ったのは自分の表現を阻むものに対してだ。
 
で、今、もし、
清志郎が反原発を歌ったったらどうなんだろうか。
というより、
清志郎が今、反原発を歌う事は、ロックか?
もちろん、そんなこと誰にも判るはずはないのだけれど、
誰も歌ってない、面白い事、じゃなくなった圧倒的な現実は
もはや、やりたいことではないんだろう。
まあ、やらなきゃいけないこと、に変わってしまう
可能性だってあるんだけどな。